【その1】

株式会社 甘精堂本店
(かんせいどうほんてん)
明治時代に考案された
「昆布羊羹」は今も看板商品
歴代当主の旺盛な事業意欲で
“菓業“を紡いで113年
明治24年(1891)創業
〒030-0801青森市新町1丁目13-21
TEL017-722-3740 FAX017-722-1661
http://www.jomon.ne.jp/~kanseid/index.html

 甘精堂本店は、青森市の目抜き通り、新町商店街にあり、「昆布羊羹(こんぶようかん)」の本舗として青森市民に親しまれてきた。
 現在の当主は5代目の三浦祐一さん(52)だが、この人は、和菓子ではなく、オーストリア国家公認の洋菓子づくりのマイスターである。
 「社内には和菓子職人が何人もいるので、自分は洋菓子を学んで、事業に生かそうと思った。先代の父からは職人たちを掌握する意味でも技術を身につけろ、と言われました」
 オーストリアには7年間滞在した。帰国後の昭和62年、店舗ビルを改築してウィーン菓子「シュトラウス」を開業、同時に喫茶部もオープンさせた。
 和菓子の老舗にしてはかなり思い切ったチャレンジに思えるが、むしろこのような進取の気性に富んだ商いこそが甘精堂の真骨頂と言えなくもないのである。

■昆布と羊羹のユニークなマッチング

 113年続く歴史の中で、特筆される商いの展開がいくつかある。
 まずは、今も看板商品であり、全体の生産量の約6割を占めるという昆布羊羹の考案である。作ったのは2代目当主の永太郎氏。昆布羊羹が生まれるまでの経緯は定かでないが、祐一さんは「誕生したのは明治時代。近海で豊富に穫れた昆布を使って北国らしいお菓子を作ろうと思ったのでしょうが、昆布を羊羹にするというアイディアは、当時としては相当にユニーク」と、その発想に舌を巻く。
 また、永太郎氏は、和菓子だけにとどまらず、森永製菓と取り引き関係を結び、特約店としてマシュマロ、チョコレート、キャラメルなど、同社の西洋菓子も販売して、家業の基礎を築いた。


■戦中、戦後の苦境を乗り切り、菓子博覧会で最高賞に

 昭和7年(1932)に建てた店舗は、カフェー全盛時代を象徴する斬新な設計だった。3代目当主で先代と同じ名前を襲名した永太郎氏が、時代にかなった新感覚の店づくりを計画。半年がかりで完成した建物は、外装が総タイル張り仕上げの3階建てで、1階が菓子売場、2階に純喫茶、3階がシャンデリアを配した洋ホールというモダンないでたちだった。
 中でも純喫茶は、インテリ層に受けるとともに、歌手の淡谷のり子ら中央の有名人の立ち寄りも多く、青森市民の耳目を惹いた。後に軽食も出すようになり、甘精堂のカレーはうまくて安いということで評判になったという。
 第二次世界大戦中の戦時統制経済下では苦境を強いられ菓子業を一旦中断、戦後の一時期は洋品小売りをしてしのぎ、昭和29年、個人経営から株式会社に改組して再建を果たしている。
 翌30年には、全国菓子観光大博覧会で昆布羊羹が最高賞の名誉総裁賞を受賞。昆布の濃密さを強調するという従来の製法にさらに一工夫凝らしての出品で、見事大賞を射止め、再スタートに弾みをつけた。


■“1店集中主義”も家業の発展要因

 甘精堂本店は、昆布羊羹というオリジナル商品の開発を契機に、その後、歴代の当主の旺盛な事業意欲によって歴史を紡いできた。祐一さんも「これからの展開も、やはり和菓子を土台にしながらも、一方では時代に対応した新商品づくりが大切」と言い切る。
 また、父で4代目の永祐氏からはこうも教えられたという。「多店舗展開はするな。本店主義を貫け」と。確かに、その長い歴史を振り返ると、いつの時代も本店を舞台にした“1店集中主義”の商いで家業を発展させてきている。
 長男が跡を継ぐことを約束してくれている。将来の6代目は大学を卒業後、和菓子づくりの道に進むという。


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